photo by 岡崎伸一
PROFILE
佐川 秀文 Hidefumi Sagawa
1958年 福島県いわき市生まれ
1981年 中央大学理工学部工業化学科卒業。
音楽雑誌「Player」('81〜'83)、「月刊宝島」('84〜'86)に社員編集者として参加。
以後、フリーランスライター・編集者として活動
2006年(株)川又感光社に入社。タウン紙「CityLife」('06〜'08)を編集。
「編集」がつなぐ人と人
中学時代、雑誌の編集者に憧れたことがある。漫画や音楽の全国誌。どんな人たちが作っているのか想像を膨らませながら、発信側の凄さというか熱を感じ取った記憶が蘇る。雑誌を編集するということはどんなことなのか。「Player」や「宝島」など数々の全国誌の編集や企画にたずさわり、現在は(株)川又感光社で企画編集の仕事を担う佐川秀文さんにお話を伺った。
佐川さんが雑誌に熱中し始めたのは、中学の頃。高校時代はワンダーランド(宝島の前身)やローリングストーン日本版を立ち読みで読破するほどの熱の入り方(笑)。時代の最先端を行くミュージシャンのインタビューやドキュメントの面白さに虜になったという。70年代は雑誌が音楽やサブカルチャーのメインメディアとして機能していたのだ。
「当時なりたかった職業は“ジョン・レノンにインタビューできる職業”か“公害センター職員”。実家が工業地帯から近く、あと父親が嫌いで家から離れたかったのもあって(笑)。」ここまで明確なビジョン、凄い中学生である。
その後、雑誌に興味を持ちつつも、中央大学理工学部工業化学科に進学。公害に関する研究を行った。しかし、雑誌に対する想いを捨てた訳ではなかった。音楽雑誌「Player」を発行する株式会社プレイヤー・コーポレーションに広告営業担当として入社したのが大学卒業後の1981年。当時編集長を務めていた河島彰氏との出会いが、その後の佐川さんの方向性を決定付ける。
「当時、河島さんはフリー編集者として独立していて、オフィスに間借りしている感じでした。そんなこともあって、いろんな面白い人が出入りしていたんです。安斎肇さんや伊島薫さん、板谷充祐さんなど、今も付き合いのある人たちはみんなここで出会った人ばかりです。みんな河島さんを慕って来ていました。」そんな河島さんにすすめられ、営業から一転、文章を書き発信する側へ。編集者・佐川秀文が誕生した瞬間である。
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